かつて18歳だった
数年ぶりにブログのことを思い出しアクセスしました。
過去の記事を読み返すと、ああ自分だなと思いますね。
就活が嫌だと嘆いてる記事がありました。
現在の方が嘆いているなんて18歳の自分は想像もしていないでしょう。
2年間無職するとか考えてなかっただろう。大学生の自分よ甘いぞ…
新卒のときすでに可能性を狭めていたことを思い出す。
現在はさらに可能性が狭まっています。
笑うしかねえ。自分のせいだけど。
過去はどうにもできないので未来に向けて努力するのみ。
頑張れ自分。負けるな自分。
根暗で根に持つ性格なので
幼いころに言われたことをまだ覚えていてたまに思い出して落ち込む。
やばい。
高校の頃にクラスのキョロ充の女に
「もっと明るく笑えばいいのに」
言われたのおぼえてる。
忘れないだろうな。
やばい。
はやく忘れて根明になりてえよ。
睡眠時間が充分にとれなくなるかもしれなくなる前にこれでもかというくらい睡眠に時間を費やしたい
雨なのでひきこもりです。子どものころは雨じゃなくて飴ふればいいのにとおもっていた。
就活を来年にひかえたこの夏休みインドアなわたしは一生分かってくらいの睡眠をとってやろうとふとおもった。
こんなに自由に寝て起きる生活は今だけなのかもしれないと急に終わりが近づいてきたようにおもえてきたからです。
タイトルまんまなおはなしでした。
それではまた。
幸せって口に出せば出すほど幸せから遠くなる気がする
「幸せ」って言ってしまえば実体があるものではなくて。ひとそれぞれのとらえ方によるとおもう。べつに幸せって口に出すなよって話ではなくて、わたしは口に出さないで心にとどめておきたいのです。
例えば、人生単位でうれしい出来事があってその時に心が満たされてあたたかく感じるようなときにわたしは「幸せ」という言葉をつかわないきがする。
「幸せ」という言葉が自分の気持ちについてこれていない気がするから。
普段の生活ではよく言いがち。
セブンのアイスコーヒーうますぎ幸せー、とか
ファミマのカフェフラッペおいしくてしあわせ、とか
こういう時に言うと「幸せ」っていう言葉に見合ってないかもしれないこともかさまししてくれるようなね。小さなことを大きくしてくれる良い言葉。
今日も近所のパン屋さんのパンがおいしくてわたしは幸せ。
目指すは真っ白。
春くらいから元気がない。前よりも心が傷つきやすくなった気がする。それで外出するときに服を着ますよね。大体白い服着てる。
白シャツは欠かせないのである。派手めな暖色などは着たくないのである。青は着るけれど。目に入れても痛くない色を着てしまう。
身のまわりに暖色の派手な原色の服をよく着ている人がいるんだけどわたしは好きではないのだ。人が何を着てもその人の自由だし、その人が嫌いというわけではない。
その派手な色を受け入れられずクラッときてしまう感覚になるので苦手なのだ。なんだろう、容量オーバーな感じ。
たぶん自分の中には派手な刺激を受け入れる入れ物があってその容量以上の刺激を受け取ってしまうのだと思う。科学的根拠はないですし感覚的なあれです。
お医者さんが白衣がなのも刺激を与えすぎないためなんだろな。わたしにとってはうれしいことである。
死んだときに着せられる服も白いし、なんかそういうところに近づいていっているのかな。その時のために白が似合うようになっといてもいいではないの。
死なないけどさ。
全く太りたくないのにどんどん太っていくのがとまらない
でーぶーでーぶーそんなのやーだー
毎日いつだって痩せよう痩せようと思っているのに太っていくばかりです。。
下半身と二の腕のお肉に圧倒される毎日、、、
自分の肉体なのかこれは、、
認めたくない
痩せよう
摂取カロリーが消費カロリーに勝りまくってるんだよな。
摂取カロリーを抑えるか消費カロリーを増やすかのどっちかもしくは両方するかすれば痩せるのはわかっているんだ、、!
痩せよう、夏。
人間としての欲求
潜在的顕在的に日々こうなりたいこうされたいみたいなのを垂れ流します。
まず、誰とでも仲良くしたいです!人と楽しくおしゃべりがしたいし、友達もたくさんほしいです。日々人と楽しく接したいです!
人に優しくされたいです!なので自分も優しくします!
人から必要とされたいです!自分の存在価値を感じたいです!
集団の和にうまく入りたいです!会話の流れを読みたいです!
もっとあるかと思ったけどいざ書き出すと意外と出てこないな。
簡単にまとめると自分の存在価値を見出したいというところでしょうか。