いつかこのブログを見返してきっと恥かしむ。

自分が書いた文章を見返す。

なんてこんな恥かしいことを。

幼すぎて、どこの目線からそんなことを。

ビッグマウスも大概にしろよ自分。

 

死ぬ間際に走馬灯のように思い出が駆け抜けるとき

そういうことばかり一気に思いだすのかと考えると

もう面白い。

根暗で根に持つ性格なので

 幼いころに言われたことをまだ覚えていてたまに思い出して落ち込む。

 

 

 

やばい。

 

 

 

 

 高校の頃にクラスのキョロ充の女に

「もっと明るく笑えばいいのに」

言われたのおぼえてる。

 

 

忘れないだろうな。

 

 

 

やばい。

 

 

 

 

 

はやく忘れて根明になりてえよ。

睡眠時間が充分にとれなくなるかもしれなくなる前にこれでもかというくらい睡眠に時間を費やしたい

雨なのでひきこもりです。子どものころは雨じゃなくて飴ふればいいのにとおもっていた。

 

就活を来年にひかえたこの夏休みインドアなわたしは一生分かってくらいの睡眠をとってやろうとふとおもった。

 

こんなに自由に寝て起きる生活は今だけなのかもしれないと急に終わりが近づいてきたようにおもえてきたからです。

 

タイトルまんまなおはなしでした。

 

それではまた。

幸せって口に出せば出すほど幸せから遠くなる気がする

「幸せ」って言ってしまえば実体があるものではなくて。ひとそれぞれのとらえ方によるとおもう。べつに幸せって口に出すなよって話ではなくて、わたしは口に出さないで心にとどめておきたいのです。

 

例えば、人生単位でうれしい出来事があってその時に心が満たされてあたたかく感じるようなときにわたしは「幸せ」という言葉をつかわないきがする。

「幸せ」という言葉が自分の気持ちについてこれていない気がするから。

 

普段の生活ではよく言いがち。

 

セブンのアイスコーヒーうますぎ幸せー、とか

ファミマのカフェフラッペおいしくてしあわせ、とか

 

こういう時に言うと「幸せ」っていう言葉に見合ってないかもしれないこともかさまししてくれるようなね。小さなことを大きくしてくれる良い言葉。

 

今日も近所のパン屋さんのパンがおいしくてわたしは幸せ。

目指すは真っ白。

春くらいから元気がない。前よりも心が傷つきやすくなった気がする。それで外出するときに服を着ますよね。大体白い服着てる。

 

白シャツは欠かせないのである。派手めな暖色などは着たくないのである。青は着るけれど。目に入れても痛くない色を着てしまう。

身のまわりに暖色の派手な原色の服をよく着ている人がいるんだけどわたしは好きではないのだ。人が何を着てもその人の自由だし、その人が嫌いというわけではない。

その派手な色を受け入れられずクラッときてしまう感覚になるので苦手なのだ。なんだろう、容量オーバーな感じ。

たぶん自分の中には派手な刺激を受け入れる入れ物があってその容量以上の刺激を受け取ってしまうのだと思う。科学的根拠はないですし感覚的なあれです。

 

お医者さんが白衣がなのも刺激を与えすぎないためなんだろな。わたしにとってはうれしいことである。

死んだときに着せられる服も白いし、なんかそういうところに近づいていっているのかな。その時のために白が似合うようになっといてもいいではないの。

 

死なないけどさ。

全く太りたくないのにどんどん太っていくのがとまらない

でーぶーでーぶーそんなのやーだー

 

毎日いつだって痩せよう痩せようと思っているのに太っていくばかりです。。

 

下半身と二の腕のお肉に圧倒される毎日、、、

 

自分の肉体なのかこれは、、

 

認めたくない

 

痩せよう

 

摂取カロリーが消費カロリーに勝りまくってるんだよな。

 

摂取カロリーを抑えるか消費カロリーを増やすかのどっちかもしくは両方するかすれば痩せるのはわかっているんだ、、!

 

 

 

痩せよう、夏。