適材適所でつくられる世界

になったら、将来についての迷いや不安や就活の必要もなくなるのかなーと考えたりする。

 

先程食べたバナナが思いのほかシャリシャリしていたのを思い出しながらコーヒーをすすりつつそんなことを思った。

 

普段生活していてもやはり思う。集団の中での適材適所は確実に、ある。人を動かすのが上手い人、1人で作業に没頭する人、人の話を聴くのが上手い人、人を笑顔にする人、おしゃべりな人、、、、

 

人には必ず秀でた部分があると信じている。その部分を生かせる場所、役割が必ずあるはずである。

 

それを早い段階で、しかも手軽に知ることができれば、いいのになと平凡な私は思うのである。

 

もし、その判断が実現したとして、適材適所と好きが一致するのかが不安な点として存在する。好きではないことは向いていたとしてもやりたくないことはもちろんある。逆も然り。だって人間だもの。

 

就活を控えた私の身だから適材適所が決まってて自分がいるべきところが決まっていれば苦労ないのにと思うわけですが、そうなってしまったらまた新たな問題にぶち当たりときりがないわけですよ。

結局何事もやってみないとわからないし、やってみてもわからないこともあるし、いつも成功ばかりではないし、いつも失敗ばかりではないんですよね。

 

私はいま、アルバイトと学校と人間関係と就職について思うあれやこれが頭から離れません。

アルバイトで私ができる仕事、任される仕事は少なく、それなのに

うまくできないこともたくさんあるし、社員の方に迷惑をかけているのではないか、果たして役に立っているのか、とぐるぐるぐるぐる考えてしまう。

学校では授業への理解がついていかず(やる気がないのも否めない)、このままで卒業論文に取り掛かって果たして、卒業できるのか。

人間関係において自分が思っているような関係を人と築けなかったり、人とコミュニケ―ションをとることが下手だったり、人を小馬鹿にしたようにしゃべるねと指摘をうけて何もしゃべれなくなったり、人に気が遣えなかったりとほんとにもう嫌になることばかりだと思うけど不思議と死ぬという行動には至らないわけで。

中途半端な人間だと心の底から聞こえてくる。

足らないところばかりなのに、ありのままの自分を受け入れなさいと言う人は世の中にたくさんいる。もうどうしろと。どうしたらそういうふうに自分を受け入れることができるんだ。

 

 

やっぱり今回も収集がつかなくなってきたのでこのへんで。

もう毎回こんな調子でぶつくさ書いてゆきます。