もう若くはないのだ
本日も目が覚めると、
「今日学校いかないとまずいかなあ・・・」
と学校を休む方向での思考をする。ここまでは昨日とまったくおなじである。
だらだらごろごろと布団の上で目が半開きのまま数分過ごし、遅刻か遅刻でないかギリギリの時間に体を起こす。睡眠に入る前に風呂に入ってないことを全身のベタツキから思い出し、気持ちだけが焦りながら風呂に入る。
なぜこんなふうにせわしなく日々を過ごしているのか疑問に感じる時が多い。こんな日々、何かを消耗している感覚は不快である。もっと時間の流れをゆったり、感じたいものだ。
風呂から出ると家から出る時間まで20分を切っていた。急がねばと焦る気持ちはあるものの、体は速くは動かない。このまま学校に行かなくてもよい方法をまだ考えている自分がおり、往生際が悪いなと自分で呆れた。
何とか学校に着き、授業を受ける。大学の授業の受け方は未だにわからず、ノートを取るのも強制ではないし、睡眠をとるも自由、そもそも出席も個人に任されているのだ。並み以上の自律心がないものはそこのない地にどこまででも落ちてゆける。だれから何と言われることもなくただ堕落していくのだ。
昼休みになった。授業の内容はわずかに頭に残っている。だが今日が終わるまでに記憶からは消えてゆくだろう。そんなことをぼんやりと考えながら昼食の塩にぎりをほおばった。いつもより塩辛く感じた。
次の授業で提出するレポートをいい加減にまとめあげ、授業に向かった。
何を言っているのだろう。配られたプリントを見る。答えは出ないまま次の授業までにとレポートの課題が出される。
人生が40年だとしたらもう半分以上は生きている。60年だったらどうだ。切りがない。
部活の活動に向かう。場所を移動して行うため、数人で移動する。後輩3人が前を歩いている。背筋はピンと伸びており、若さを感じた。たった数年の差だがされど数年である。侮れない。隣を歩いていた同年が「若いね」と言った。主語も何もなかったが、全くの同感である。盛大に同意した。